NPO法人 九州キラキラみなとネットワーク

学生時代に外食の経験が殆どなかったので、外食へのあこがれは殊の外強く、経済力を身に付けてからは、なにかと理由をつけては、友人たちや家族と食べ歩きを楽しみました。時代は高度経済成長期の真っただ中、毎月のように新しい店が天神や中洲にオープンしていました。好奇心の塊りと化した私は毎晩のようにあちこちの店に通い詰めたものです。今でもお奨めを聞かれれば、福岡市内で蕎麦を食べるなら〇〇屋、小料理なら□□□屋、フレンチだったら◎◎亭!...とスラスラ出てきます。あの時代にしっかりと授業料を払ったおかげで、喜ばれたり感心されたりするのはなかなか愉快なものです。

ですが私自身は、現在では殆ど外食をしていません。きっかけは、故・田中宏暁教授(福岡大学スポーツ科学部)の呼びかけに応じ、65歳からのメタボ改善教室へ参加したことです。それまでの不摂生が見事に影響したのでしょう、運動不足からくる肥満に高血圧と典型的な生活習慣病予備軍だと知らされたのです。それからは、スロージョギングで習慣的に運動をすることと、食べる量を減らして質を良くすることをこころがけることで、健康で元気な身体がだんだんと戻ってきました。

私のカラダは、頭のてっぺんから足の先まで、私自身が口にしたもので出来ています。今日、食べたり飲んだりしたものが、明日のわが身になっている。そう思うと添加物にまみれたものはご法度にしています。カラダが喜ぶ食べものは全身に栄養が行きわたり、日々の健康を保ってくれますが、目や口を喜ばせるだけのものは、胃や肝臓に大きな負担がかかっているのを感じます。私が手に取り、口にした食べものが、咀嚼され消化され、動脈や静脈やリンパの流れに乗って全身を巡るからこそ生きているのですね。だからこそ、カラダがよろこぶ自然由来のものを、往復1時間のスロージョギングを兼ねて買いに行き、自分のキッチンで清潔に調理して美味しくいただくことを何よりの幸せと感じ、感謝の日々を過ごしています。

(あゆ)

これまでのみんみん便り

2019年

2018年

お洒落心

このところすっかりお洒落に縁遠くなった。ウイークデーは仕事着中心だから無難な色や形をチョイスし、休日はたいていスロージョギングに出かけるので朝から晩までスポーツウエアの上下で過ごしている。スポーツウエアは、洗うのもカンタンで乾くのも早い上に安価ときているから、手放せなくなるのも不思議ではないのだけど。

某日、たまには素敵な春夏物のウエアでもと、華やいだ気持ちになり、品定めに街を歩いてみた。ファッションビルの店内はまさに百花繚乱。種々様々な色や形があふれ、颯爽と歩く女性の姿に目移りして思わずキョロキョロと、まるでお上りさん状態。すっかり疲れてしまい、早々に帰宅したのでした。

最近は、ゾロリとしたロングの上着にウエストの細さを強調するパンツやロングスカートが流行っているのか、見かけた女性の10人に1人くらいはこのスタイル。でも、私にはちょっと似合わなさそう。自分に似合う服を見つけるのが上手くなったのは、ネットで手軽に試せるようになったことも大きな要因だと思う。新しい発見もあって、10代でも70代でも違和感なく着られるスタイルもたくさんあり、ファッションがエイジレスになったことを目の当たりにして感動しました。

ここで、まてよ!と、突如として閃いた。最近のファッションのベースはスポーツウエアなのではないだろうかと。軽くて脱ぎ着が楽で、洗濯も容易。デザインもファッショナブルなものからシンプルなものまでたくさんあって安価だし、万人受けしているでしょう?そう、スポーツウエアで過ごす私はお洒落な生き方の先端ってことですね。

若い頃から、中原淳一さんのファンで、ファッション雑誌「それいゆ」を愛読していたのでそれなりにお洒落さんを自認していたが、結婚して子供ができ、生活の中心が子供になって「暮らしの手帖」の愛読者になると、人目をひくようなお洒落はしなくなっていた。残り少ない人生を自覚するようになって、お洒落ごころの復活をめざしたのだが、何のことはない、現代のお洒落さんはスポーツウエアをご愛用中ということですね。

(あゆ)

万葉人

五月晴れに誘われて家を出た私は、さつきの花盛りを見ようと西公園を目ざしました。突端の展望台から見る景色は、眼下に真っ青な博多湾が広がり、真正面には海の中道から志賀島へと続く海岸添いの道がなだらかに続いています。博多湾って、こんなに美しかったのかとあらためて二度惚れしました。

ここ西公園の参道入口には、新元号「令和」の典拠として注目を浴びる万葉集に収められた歌碑があります。

(かむ)さぶる 荒津の崎に寄する波 
(ま)無くや 妹(いも)に恋ひ渡りなむ
(万葉集 巻15・3660)

案内によればこの歌は、天平八年(西暦736年)に新羅の国に派遣された使節一行の土師稲足(はにしのいなたり)が、往路で詠んだもので「神々しい荒津の崎に寄せる波のように、絶え間もなく妻を恋いつづけることであろうか」という意味。歌の中にある「荒津の崎」は、ここ西公園の突端のことです。

また、事務所がある大濠公園にも万葉歌碑があります。

しろたへの 袖の別れを 難(かた)みして
荒津の浜に やどりするかも
(万葉集 巻12・3215)

同じく歌碑の案内によると、作者未詳のこの歌は「あなたとこのままはなればなれになることが惜しいので、荒津の浜で一夜の宿をとってしまった」という意味。当時この周辺は、大きな入り海になっており「荒津の浜」や「荒津の崎」と呼ばれて、船が出入りしていました。この歌は、都に帰ろうとする、あるいは唐や新羅へ派遣される官人が、送ってきた人とこの荒津の浜で別れを惜しんで詠んだもの。これに答えて見送る人が「草枕旅ゆく君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ」という歌を詠んでいるそうです。

「令和」の発表以来、ゆかりの地として太宰府の万葉歌碑を訪れる人が絶えないようですが、万葉集にはおよそ4500首の歌が集められていて、全国各地にその土地で詠まれた歌碑が建てられています。博多をはじめとする、海を越えた使節団派遣の船出の地では、前述のような家族との別離の心情が多く詠まれていて、胸をしめつけられるようです。妻子と離ればなれの暮らしは、どんなにか寂しかったでしょうし、所帯が2カ所となれば経済的にも苦しかったことが推察されます。さらに海路の安全性への危惧もあり、まさに命を賭しての派遣だったことが伺えます。

万葉集には幅広い身分の人々が詠んだ歌が集められていて、古えの日本人の心情に触れることのできる大きな遺産です。中でも多くの官人が、そのあるがままの思いを残していますが、博多にも多い単身赴任で頑張る現代の官人の姿とも重なります。きっと彼らにも、日本各地や海外で数年を過ごし地元の内情を知り、国を治める気概とともに、その胸の内には家族への思いやさまざまな心情があることでしょう。そういった思いに触れることのできるものがあれば是非読んでみたいものだと、万葉人に思いを馳せた一日でした。

(あゆ)

花咲いて

花咲く季節を迎えると江戸時代の俳人・小西来山が詠んだ「花咲いて死にとむないが病かな」が脳裏に浮かびます。そこには病を憂いつつもカラッとぼやく姿勢に元気をもらえるような不思議な雰囲気があります。この私とて、花咲く頃を迎えると死にとむない思いが勃然と沸き起こるのは、春に沸き立つ花々に命の豊かさや儚さを感じるからでしょうか。

今年に入り、まずは出来るだけ「病」に罹らないようにしようと決意を新たにし、特に子供のころの暮らしに戻してみてはどうかと考えています。昔は、お風呂掃除に廊下の雑巾がけ、台所での洗い物と、まるで独楽ねずみのようにくるくると動いていたものでした。こういう炊事、洗濯、掃除などの日常生活のなかで出来ることを積み重ねていくことが筋肉や柔軟性を養うのに大切なのではと思っています。食事の準備にしても、出来るだけ新鮮な野菜や果物、魚、肉を求めて遠くの店でもリュックを背負って歩いていきます。それらを手間ひま惜しまずに、茹でたり、すりこ木で擂ったりして手づくり料理を楽しむように心がけています。

最近報道された、国際的な研究者グループの論文によると、世界全体で全粒穀物の過小摂取で約300万人、果物の過小摂取で約200万人、塩分の過剰摂取で約300万人が死亡しているそうです。米ワシントン大の研究者らは塩分の取り過ぎに警鐘を鳴らすとともに、玄米などの全粒穀物や果物、ナッツなどを多く食べるよう勧めています。
食習慣が健康に及ぼす影響の大きさを知ると、これまでの食生活を反省せずにはいられませんね。ここ1~2年は、筑前町の特産黒大豆がお気に入りで、せっせと煮豆や焼き大豆、炊き込みご飯にして丸ごと美味しくいただいていますから、全粒穀物の摂取には自信がありますよ。

また小さなことですが、朝夕の歯磨きは片足立ちで行い、NHKの朝ドラを見ながらスクワット、両手上げ、かかと落としをそれぞれ5分づつ実行しています。続けているとこれまで殆ど使っていなかった身体の部分まで徐々に影響が及んできて、身体を動かすことが楽になり楽しくなってきました。体重も増え過ぎず、ウエスト周りが少し絞られてきたような気がしています。いよいよワインを提げてお花見に行っても太り過ぎの心配は無しと心はずませております。

身体が喜ぶものを食べ、せっせとわが身を鍛え、人に喜んでもらえることを楽しみに行動して、健康に長寿を全うできたら最高の人生といえるでしょうねぇ。

(あゆ)

春を味わう

草木が萌えいずる春となりました。らんまんと咲く花木の美しさに酔うことは無論のことですが、年齢とともに花より団子に傾いていく自分に困っています。

先日、筑前町の農産物直売所「ファーマーズマーケットみなみの里」へお気に入りの黒大豆の新豆を買いに出かけました。この黒大豆を入れて炊いたご飯は、ふんわりしっとりとしてお赤飯に勝るとも劣らぬ美味しさです。数年前に偶然出会って以来、この時期を楽しみにリピーターになっています。さらに、地元の主婦お手製の「煮豆」は、買わずにいられない絶品なんです。

ところが今回、黒大豆の前にグッと引き寄せられる一品に出遭ってしまいました。

それは「土筆」。待ち焦がれていた人にばったり遭ったような逸る気持ちを抑えて、そぉっと土筆の一束を手に取り、今夜はさっそく土筆の卵とじにしよう、お酒は何が合うかしら...と、心が躍りました。久しぶりの土筆は、きれいにハカマが取ってあって手間いらず。 でも、ハカマを取るあの手間暇も春を感じられる時間なのでちょっぴり寂しくもありました。

黄色の鮮やかさにつられて「菜花」も買い、これはお浸しにしました。土筆といい、菜花といい、春の野菜特有の苦みを感じますよね。 なので「セリ」と「セロリ」と「玉ねぎ」のサラダを作って、苦み満載の春の夕食を楽しみました。

散歩の途中に、みごとな「あんず(杏)」の花盛りに遭遇して感動しました。花の時期が短いのでなかなか見れないのに、最高のお花見日和に出遭えて幸せでした。 これからしだいに実がふくらみ、やがて美味しい果物として紅色の美しさが輝くでしょう。 あんずは、ジャムや姿煮、杏酒と利用範囲が広くて、家に植えていると助かるなぁ...などと一人ごちる、食いしん坊の私でした。

(あゆ)

ラ・フランスの想い

年が明け、寒さが厳しくなると暖かな鍋物が恋しくなる。久しぶりにモツ鍋が食べたくなり、さっそく買いに走った。モツはやっぱり白腸、それにキャベツ、ニラ、焼き豆腐、ちゃんぽん玉、ニンニク、唐辛子といたって簡単な材料だけ。大鍋に昆布とイリコの出汁を取り、すまし汁を作れば準備OK。いつでもテーブルを囲むことができる。

昨秋、東北から姪が里帰りしてきた時にもこのモツ鍋をふるまったのだが、心に深く刻む出来事が起きた。姪は私を「第二の母」と呼ぶ。彼女が生まれて間もなく母親が手術によって授乳ができない状況にあったので、ちょうど第2子を出産後で豊富な母乳に恵まれていた私が、半年間の乳母役を喜んでつとめた。姪は山形へと嫁いだ今でも里帰りの度に私の顔を見に寄ってくれている。

ラ・フランスは山形の名産として名高い。モツ鍋をふるまったその日、姪は「ラ・フランス」をお土産で持ってきてくれた。「あっ、そこに置いといて。ありがとう」玄関の下駄箱の上に置いたまま、私は、翌日の午後、帰東の挨拶に再度訪れた姪を迎え入れてしまったのだ。前日から置かれっぱなしのラ・フランスが心なしか少し萎んで泣いているように見えた。

昨夜遅くまで飲んだり食べたりが続いたからといって、第二の母と慕ってくれる姪からの大切な贈り物を置きっぱなしにするなんてと、恥じ入るばかりだった。「大切なことを大切にする」これまでの永い時間をかけた自問自答の末に、わが心に刻んだはずだったのに、いつの間にか大切な姪の情愛を受け止める器でなくなっていた私をそこに見たのだった。

それ以来、ずっと頭の隅から離れない言葉がある。
「私は自分という人間を作るために生きている」作る努力を忘れたり、サボったりしませんように。毎日、自分にそう言い聞かせている。

(あゆ)

博多を憧れのみなとまちへ

♪梅は咲いたか桜は未だかいな♪と、梅便りが待たれる例年ですが、今年の梅の開花の早かったこと。あまりの美しさに思わずシャッターを押していました。 さて、新年の幕開けです。どんな一年が待ち構えているか、想像するだけで胸がわくわくしてきます。九州各地の「みなとまち」に賑わいを創出して、世界の人たちも憧れるような “九州” にしようと張り切って動き始めて15年を超えました。そろそろ具体的な行動を起す時期だなと思って周りに目をやると足並みや雰囲気もよろしいようです。手始めに「みなとまち・博多」の魅力を創出するために、地域に住む人たちにもお声をかけて、みなとでスロージョギングをもっと楽しむことから始めようと思っています。

スロージョギングの創始者である故田中宏暁・福岡大学スポーツ科学部教授は「スロージョギングは1日1時間を目標に。できればプラステン(10分)」と仰っていました。毎日サボらずにゆっくり走り続けることが肝要なんですね。運動する習慣がない人の一日の歩数は1000歩に満たないこともあるようです。人間は元々歩くように出来ているそうですが、スロージョギングは歩くより2倍のカロリーを消費するといわれていて、生活習慣病や老化、肥満の予防にもさらに効果的。そこに、パン食い競争みたいにゲーム性を取り入れたり、音楽に乗って走ったりと娯楽の要素を加えて、みんなで仲良く楽しめるスロージョギングの輪を広げていきたいと考えています。

昨年12月2日に、第4回きやまスロージョギング大会(佐賀県三養基郡きやま町主催)がロードレース大会と同時開催されていたので5kmの部に初挑戦してきました。自分のペースでゆっくり走るのがスロージョギング。なので大会では、他の参加者と時間を競うのではなく、あらかじめ自己申告したゴールタイムに近い時間で完走できた人が勝者となります。この日の優勝タイムは0分02秒。残念ながら私は15分52秒とついついペースが上がってしまいました。次回はいつものようにゆっくりがんばろうと思います。自分と向き合って、申告タイムをどのくらいに設定するかも大きなポイント。走る前から勝負は始まっていて、競走とはまた違ったゲーム感覚の面白さも楽しかったです。

博多港はここ数年、クルーズ船の寄港回数で日本一を誇っていますが、せっかく外国から博多港に着いたのに皆さんバスで太宰府などに直行し、そのまま船に戻っているという状況で、地元の人間としてはなんとも面目ないと感じています。そんな方々にも、市民が集うスロージョギングの輪の中で気軽に楽しんでもらえる環境が整えば、博多港の想い出がまたひとつ増えるのではなかろうかと思っています。

(あゆ)

晩酌

「今夜は一人酒」「粋人は手酌です」「酒はしずかにのむべかりけり」...一年の締めくくりの時期、雑誌や食に関する本の表紙や見出しには大げさな誘い文句が目につきます。この季節は決まって日本酒が大きな顔で活躍するのです。ひと昔前まで日本酒は甘ったるく感じて敬遠気味でしたが、昨今は、すっきりとした咽喉ごしと熟成感に大満足、最高の味わいが楽しめます。日本酒でも赤・白ワインでも拘りなく和食にも洋食にも合うようになって、料理に合ったお酒を注文するようになりました。居酒屋系の多国籍料理には焼酎や泡盛、紹興酒やハイボールが合いますねぇ。

私の好きな器を焼かれる陶芸家の窯開きに行った折りに、ひときわ目を引いたのが根来盆に載った晩酌セット。一目惚れでした。赤と緑の巻き模様がこれまで見たことのない鮮やかさで描かれたモダンな柄の徳利と、小さな愛らしい赤絵のぐい飲みには味わいのある筆文字で春夏秋冬と描いてあり、箸置きは墨台を転用した珍しいものです。焼〆片口に一合ほどの酒を入れ、珍味入れには雲丹を入れて...。この冬の一人晩酌のイメージをふくらませるには十分でした。

晩酌は一人が似合います。今日一日の出来事をかみしめながら、徳利を傾ける所作が“トクトク”と耳に心地よく響き、熱燗も好いけど冷酒もイケるなぁなどと酔うほどに幸せ感に浸れます。そんな中で少し気がかりなのが、日本酒の高級化路線です。酒米を削りに削ってほんの数%にまで磨き上げて醸造した吟醸酒が珍重される風潮が日本酒離れにつながらなければいいがと老婆心ながら憂えております。

ちなみに来年の干支は亥。晩酌セットの赤絵ぐい飲みは、小さく上が開いた杯で「お猪口」とも言いますから、来る年は一日一合のお酒をこれで楽しませていただきましょう。

(あゆ)

福岡・大濠公園の濠の周囲には柳の木が点々と植えられています。秋になると枝垂れた柳葉が長くなり散歩する人の顔や体に当たります。毎年、公園の管理の人が当たらない程度まで剪定して歩きやすくしてくれています。

日課となっている散歩の途中、片方の手で柔らかな柳の細い枝をかき分けながら、口をついて出るのは、博多の仙厓和尚の言葉「気に入らぬ風もあろうに柳かな」です。どんな時でも、風の吹くままに素直に一斉に同じ方向に流れている柳の、いつ見ても見飽きない見事なしなやかさに重ねて諭すこの言葉は、目からウロコでした。

若い頃の私は、自分の気に入らぬ風には猛然と抵抗して周囲の迷惑省みずでした。同じ風の方向に私一人ぐらい逆らってもどうってことないと気にも留めていなかったのです。誰にでも何時でも気に入らぬことは山ほどあります。柳だって同じでしょうに、ガタガタ言わずに周囲に合わせます。仙厓和尚は柳の木を眺めていて人間のわがままぶりを見抜かれたのでしょうね。流れに素直でなかった私であったにも関わらず、やさしく接してくださった人たちからのバトンを引き継いで、見知らぬ誰かにやさしさの“恩送り”をしていこうと心に決めています。

(あゆ)

運河の魅力

先月、富山県の富岩(ふがん)運河を訪れる機会がありました。昭和10年に完成し、地域の工業化の推進に大きく貢献したものの、時代とともに船による輸送はトラックへと移り替わり、一時は埋め立てて道路として活用する計画も立てられていたそうです。

昭和60年に建設省の「新都市拠点整備事業」制度ができたこともあり、富山市はこの富岩運河を中心とした公園を整備し、まちなかの貴重な水面として活用する方針へと転換しました。こうして誕生した「富岩運河環水公園」は、市民をはじめ多くの観光客も訪れる場所となっていて、教科書にも載っているパナマ運河と同じ仕組みの「閘門方式」を体験できる運河クルーズは高い人気を博しています。もちろん私も体験してきました。

クルーズ船は、大きな曲面ガラスを使った先進的なデザインで、ディズニーランドに来たようなワクワク感に包まれます。出発後しばらく緑化整備された公園内を進み、いよいよ国の重要文化財でもある「中島閘門」へ。上流側から進んだ船は、閘門の扉を開いて中へと入り、入り終えると進入してきた扉は閉じられ、下流側の扉とで挟まれた状態になります。そして両側にある通水口から水が吐き出されることで、下流側と同じ水位へと下がっていくのです。この高低差は2.5メートル。水のエレベーターを体験しながら、こういう仕組みを考え、実現した技術力を想い、それがこういうカタチで残っていることに感動を覚えました。

こういう仕組みだったのか。名前だけはよく知っていたパナマ運河の仕組みも体験することで「ナルホド!」と実感でき、遠いカリブ海も少しだけ身近になった気がします。体験することの大切さや感動を少しでも伝えていけたらとあらためて考えさせられました。

(あゆ)

いいね!スロージョギング

ゆっくりした速さで走るスロージョギングに嵌って6年。毎月3回は博多港周辺と北九州港周辺と大濠公園で4km~5kmを20人ぐらいのグループで楽しんでいる。
走り終わった後のビールの美味しさにも嵌ってしまったが、身体の内外ともに健康で溌剌とした毎日を過ごせている。

2017年の厚生労働省の調査によれば日本人の平均寿命は女87歳で男81歳だが、健康寿命は女74歳、男72歳。つまり要介護や病気の期間が女は13年、男は9年ということになる。なかなか、ぴんぴんころりとはいかないようだ。
50代半ばになって高血圧と不整脈で体調が優れず病院に行った。学生時代、バレーボールに明け暮れていたおかげか、ずっと病気知らずで過してきた私は「あなたは健康積立貯金を今まで取り崩してきましたが、既にマイナスになっています。今から少しずつでも健康の積立貯金をしなさい」と医者に告げられた。

ちょうどその頃知り合いになった、福岡大学スポーツ科学部の故田中宏暁教授によるスロージョギングの考え方に魅了されたものの、一日働き夕方お腹ペコペコになって帰宅、夕食を用意して食べ終わると動きたくなくなって明日からにしようと先のばしになり、億劫さが先に立ってエンジンがかからないままだった。

そうして70歳を目前にした頃、飲み過ぎ食べ過ぎで体重減を迫られた。そこで目標をマイナス3kgに決め、スロージョギングに取り組むことにした。スロージョギングの良いところは、ゆっくり走っても歩く場合の2倍のカロリーを消費すること。モットーは「うんと動いてうんと食べる。すると中身が良くなる。」中身が良くなるとは、ちゃんと食べることでミネラルやビタミンが内臓に蓄えられ、しっかりと動くことで筋肉が付き、内臓の働きが活発になって、造血作用も働く。つまり良いこと尽くめということ。カロリーの消費と摂取が同じならバランス取れるのだとすると、飲み食い大好きな私には、カロリー消費は多いほど良いということになる。

先日、インボディ測定を行った。肥満評価・筋肉バランス・骨格筋と脂肪・栄養評価・身体バランス・身体強度・健康評価の項目が判るが、身体バランスがやや不均衡なだけで、残りはすべて標準範囲内に収まり大いに満足した。
現在77歳、平均寿命までまだ10年はある。いずれくる死の前日まで自分の足で立って歩いていたいと、スロージョギングに励む日々である。

(あゆ)

私の生きる意味

人の役に立つ人間になりたいと、生きる目的をはっきり意識し始めたのはいつ頃だったろうか。巷には森進一の「おふくろさん」が流れていた。♪お前もいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた♪ 作詞者の川内康範氏は、雨が降る日は傘になれと子どもの頃に母親から聞かされていたのかもしれないなぁ。率直で現実的な歌詞は実体験から生まれたとしか思えないほど、私の胸に素直に落ちた。
周りの人々が困っている時にさっと手を差し伸べるという具体的な行動を、誰にでも分かる優しい言葉で表現してくれた。この曲が世に出なければ、当時30歳になったばかりの私の生きる目的探しはもっと遅れたかもしれない。

先日、地下鉄大濠公園駅構内に母校福岡中央高校の校歌が流れていた。なつかしさに思わず聞き耳を立てた。
在学中は歌詞に託された意図も分からないまま歌っていたが、その三番には、人間としての中身をこの学校で今から研鑚を重ねて成長し、本当の意味での「人間」となって、世の中に尽くすことを心に銘じることが出来るようになれという思いが込めてあった。

「おふくろさん」と校歌が私の生き方に強いサジェッションを与えたことは間違いない。 久しぶりに聞いた校歌に、私の生きる意味 “人の役に立ちたい” 願いが「おふくろさん」の歌詞を伴って頭の中を駆け巡った。あらためて生きる覚悟を促された気がした。

(あゆ)

アジサイの季節を迎え、7000本が咲き乱れる久留米の千光寺へお参りへ行ってきました。日本最古の禅寺のひとつで臨済宗開祖栄西禅師が開山したと伝えられています。寺の裏山は全山アジサイに彩られ、素朴でたくましい青やピンク、白、紫の花手毬が風にゆれていました。久方ぶりに、優しい文章を書いてみたくなりました。どうぞ、今後ともよろしくお付き合いお願いします。

お互いに忖度する

流行語になってしまった「忖度」ですが、そもそもは相手の心情をおしはかるという意味です。最近ではすっかり悪いイメージに傾いていますが、車いすの人を見て何か手伝えることはないかと気にかけたり、声を掛けたりするのも忖度。モリカケ問題で「忖度」という言葉がごまかしの道具として注目をあびてしまっているのを残念に思っているのはきっと私だけではないでしょう。

先日、マグロで有名な大間町で活躍されている島康子さんとお会いできました。まちおこしゲリラ集団「あおぞら組」の代表として「(泳ぎ続けないと死んでしまう)マグロ女子」を名乗り、新しい事業に次々とチャレンジし続けるその活動は、大間にとどまりません。海峡を越えて北海道と連携を図り、地元愛にあふれた人たちの力を合わせて、津軽海峡に囲まれたエリアから全国のみなとに元気をふりまくチャーミングレディでした。

「わが町を自慢する前に、まず相手を褒めること」―まちおこし活動の中、わが町のためにと頑張って頑張って成果が出たとしても、小さな輝きではすぐに立ち行かなくなります。隣町が死んでも自分たちは大丈夫だなんてことはありはしないし、それは逆に自分たちの危機に直結するんだということを経験してきました。だからこそ、周辺の地域と互いに足元を磨き合い、競争しながらも尊敬し合える関係を作っていくことの大切さを痛感してきたそうです。その第一歩は「相手を褒める」こと。そう話す島さんの言葉は、とても印象深いものでした。

「まず相手を褒める」言うのはカンタンですが、案外難しいもの。何も情報のない初対面の人、顔見知りではあるけれど言葉を交わしたことのない人、昨日まで邪魔だと思っていた商売がたき・・・。難しそうですよね。では、身近にいる気心の知れたアノ人ならカンタンですか?褒めるということは、相手のことを相手の立場に立って考えることからがスタート。相手の心情に思いを馳せ、互いに忖度し合って築いていく関係は、きっと豊かで実り多い素敵な未来につながっていくと思っています。

(あゆ)