鮎通信(第3回)
2014年6月







 
大蛍(おおぼたる) ゆらりゆらりと 通りけり
小林一茶



   6月は水無月。私が卒業した高校では「水無月祭」と称する文化祭を毎年開催する。今年は創立116周年にあたり、式典に参加するために久しぶりに母校を訪ねた。

 式典の始まりに君が代斉唱はお定まりだが、講堂の2階席から聴こえてきた吹奏楽部の生徒たちの生演奏の圧倒的な力強さに国歌を歌いながら思わずのどに熱いものがこみあげてきて声が出なくなった。次に校歌斉唱で、涙で歌詞がかすんで見えないという、お粗末な先輩ぶりを露呈してしまった。
知らぬ間にわが孫が大きくなって、立派に責任を果たしている姿を見て感涙にむせぶ祖母の心境に近いようである。

 校歌は在学中には何にも考えないでただ歌詞を追っているだけだったが、卒業後の人生が長くなればなるほど、母校が誇りに思えるような仕掛けになっているような気がしてきた。
作詞 花田比露思氏、作曲 荒谷俊治氏による現校歌は昭和32年6月6日、創立59周年記念日に制定された。中でも3番の歌詞を歌うと、このような深い思いを込めて生徒に贈ってもらったのかと先達の偉大さに頭を下げずにいられない。


 福岡中央高等学校校歌
三番
 ああ人の世に生まれ来て
 人とならむと学ぶこそ
 実(げ)に大いなる恵みなれ
 旧(ふる)きをたずね今を知り
 進み行く世に尽くしなむ
 中央 中央 福岡中央



 この世に人間の姿をして生まれてきても、まだ人間ではない。人間になるために学ぶべきことがたくさんあり、学ぶ場を与えていただいたことに先ず喜び感謝して、この世の歴史と文化をよく知り学び、世の中の進歩や変化に対して役に立つような生き方をしないと人間ですとはとても言えないのである。
まことに恥ずかしながら、今更に校歌に学んだ一日だった。

 人間として生まれてきた以上、自分のためだけの人生ではあまりにも情けないことです。できるだけ自分以外のために生きて、良い人生を送りたいものです。

― 鍵山 秀三郎氏の言葉 ―